⾹港 紅⾊の⾦融都市㊤
2021年5⽉26⽇ 5:00
かつて国際都市と⾔われた⾹港は中国のための⾦融都市に変貌した。⼤規模デモや⾹港国家安全維持法の施⾏によって政治情勢が⼀変し、⾦融ビジネスでも中国勢の存在感が増す。⻑く⾹港に根を張ってきたHSBCと⾹港取引所(HKEX)を通じて「紅⾊の⾦融都市」の実像をさぐる。
⾹港島の⾦融街・中環(セントラル)にあるHSBC本店前のライオン像に⾚いペンキがかけられたのは2020年の元⽇だった。⺠主化デモを⽀援する団体の⼝座閉鎖をきっかけに抗議が激しくなった。「HSBCは中国の紅⾊に染まった」。ライオンの⾚い涙には市⺠の複雑な気持ちが投影されていた。
あれから1年あまり、国家安全法や政治活動の締め付けによって⾹港からデモが消え、HSBCはビジネス⾯で中国への傾斜を強めている。
「経営陣を⼤きな成⻑が⾒込める場所に置く」。ノエル・クイン最⾼経営責任者(CEO)は4⽉の決算会⾒で商業銀⾏や資産管理の部⾨トップをロンドンから⾹港に異動させる理由をこう説明した。成⻑が⾒込めるアジアに経営資源を集中させる。
⾹港のHSBC関係者は「上司が増えて⾯倒になりそうだ」と苦笑しつつ、⾃然な動きと受け⽌める。ここ数年、本社を置く英国は⾚字続き。19年と20年はグループの税引き前利益の9割以上を⾹港で稼いだ。1865年に「⾹港上海銀⾏」として発⾜したHSBCにとって、⾹港シフトは原点回帰といえる。
特に⼒を⼊れるのがウェルスマネジメントと呼ぶ富裕層の資産管理や運⽤を⼿掛ける業務だ。今後5年でアジアのウェルス事業に35億㌦(約3800億円)を投じ、顧客担当者など5000⼈以上を採⽤する。クイン⽒は「⾹港拠点には強⼒なウェルス事業のプレゼンスがある」と話す。
専⾨誌「アジアン・プライベート・バンカー」によると、中国本⼟を除くアジアの富裕層の運⽤残⾼トップはスイスのUBS(5600億㌦)、2位はクレディ・スイス(2510億㌦)。HSBCは1760億㌦で3位につけるものの、超富裕層への⾷い込みは伝統的なスイス勢には及ばない。
⾮スイス勢、「エマージングウェルス」に照準
HSBCが視線の先に⾒据えるのが14億⼈の巨⼤市場である中国本⼟だ。⽶ボストン・コンサルティング・グループによると、中国の資産運⽤残⾼は20年末に122兆元(約2000兆円)と前年⽐10%近く伸びた。25年まで年平均12%の⾼い成⻑を⾒込む。
HSBCは21⽇、「The rising wealth of China(中国の富の⾼まり)」と題するリポートを発表した。中国の家計資産が今後5年で毎年8.5%増え、1000万元(約1億7000万円)以上の投資可能資産を持つ富裕層は現在の200万⼈から500万⼈に拡⼤すると予想した。
富裕層ビジネスに詳しい⾹港のアクシオム・インベストメント・マネジメントの⾺偉国⽒はHSBCや英スタンダードチャータード、シンガポールのDBSなど⾮スイス勢が狙うのは「エマージングウェルス」と呼ばれる富裕層の予備軍だと話す。
「資産規模が25万〜100万㌦程度なら中国本⼟に1000万⼈以上いる」(⾺⽒)。⼤きなシェアを握る⾹港を⾜がかりに、中国の顧客を取り込むのがHSBCの基本戦略だ。
普通株式など安定的な⾃⼰資本でどれだけ効率的に稼げるか⽰すHSBCの有形⾃⼰資本利益率(20年)はリテール9.1%、商業銀⾏1.3%、投資銀⾏6.7%。利ざやが薄い商業銀⾏や、中途半端に規模が⼤きい投資銀⾏部⾨に課題を抱えるのは明らかだ。投資情報会社モーニングスターの胡啓泰⽒は「投資銀⾏を縮⼩してウェルス事業にシフトするのは理にかなっている」と評価する。
もっとも、低⾦利下で⼀定の⼿数料収⼊が⾒込めるウェルスビジネス重視は世界的な潮流だ。英調査会社オートノマスのマヌス・コステロ⽒は「HSBCは10年前から繰り返しウェルス事業の可能性に⾔及してきたが、関連収⼊はほとんど変わっていない」と懐疑的な⾒⽅を⽰す。
⽶ゴールドマン・サックスやJPモルガン・チェースは新規株式公開(IPO)⽀援など投資銀⾏業務をテコに、有⼒な創業者と関係をつくり、個⼈の資産管理ビジネスにつなげる⼿法を得意とする。プライベートバンカー1⼈あたりの資産残⾼がゴールドマンの10億㌦に対して、HSBCが5.8億㌦にとどまるのはこのためだ。
政治リスクも無視できない。HSBCが⾹港で「ザ・バンク」と呼ばれたのは英植⺠地時代。グローバルバンクとして中国に半⾝の姿勢で向き合っていればよかった時代は終わった。
⽶中双⽅から制裁リスク
18年に中国の通信機器⼤⼿、華為技術(ファーウェイ)副会⻑逮捕につながる情報を⽶当局に伝えたとして、中国の不興を買った。20年には国家安全法を⽀持していないとして批判にさらされた。幹部が同法を⽀持し、⺠主派の⼝座を凍結するなど⽴場を明確にしたところ、⽶国からは中国にひざまずく「叩頭(こうとう)」と罵られた。
⽶国が20年に制定した⾹港⾃治法では制裁対象の⼈物と取引がある⾦融機関の制裁も可能にした。制裁メニューには外国為替取引の禁⽌も含まれ、最悪の場合、ドル決済から締め出される可能性もある。
⽶当局は影響が⼤きい⾦融制裁を慎重に避けているが、HSBCはマネーロンダリング(資⾦洗浄)に絡み⽶国で巨額の罰⾦を課された過去もある。政治リスクコンサルタントのスティーブ・ビッカーズ⽒は「⾹港の多国籍企業、とりわけ⾦融ビジネスは⽶中双⽅から制裁を受けるリスクにさらされている」とみる。
HSBCは⽶事業などを縮⼩して中国シフトを強める。それは国際都市の看板を下ろして中国のための⾦融都市になりつつある⾹港の運命を暗⽰する。
元アジア開発銀⾏理事で⽶ミルケン研究所のアジアフェローを務めるカーティス・チン⽒は「巨⼤な中国市場は無視できない」としつつ「中国の⾦融ビジネスは厳しく規制され、勝者と敗者を決めるのは中国⾃⾝だ。当局が⼀晩でビジネスを終わらせることもできる」とくぎを刺す。
80年以上、⾹港のHSBC本店を守ってきた2頭のライオン像は修復され元に戻った。だが、触れると幸運をもたらすと⾔われたライオンの表情はどこか違ったものに⾒える。
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